メンヘラと筋肉の相性
東大の近くまでは行くんだけど、ある道を右に曲がれば東大で、
まっすぐ行けば公園なのね。でも僕はまっすぐ行っちゃうの。
公園でトレーニングしちゃうのね。―マッスル北村
筋トレにハマッている。
聞く人が聞けば、「はいはい、またかよ」「結果にコミットしてろよ笑」って答えが返ってきそうなのだけれど、ぼくは一応ハマってるつもりだ。
もちろん、してるからといって筋肉隆々というわけではない。
TVによく出てくる筋肉のオッサンとかは本当に2.3年かけて筋肉以外の全てを捨てて、なおかつ毎月筋肉に2万とかつぎ込んでようやく到達するレベルで、そもそも1年やっても筋肉は2kg程度しかつかないらしい。
でも、とりあえず今年に入ってからはちょくちょくサボるけど習慣にはなっている。
何で筋トレにハマッたの?と聞かれたら自分でもよくわからない。
周りにやっている人がいて、僕の大学生活は散々で退屈でどうしようもなかったから
なんとなく手を出してみた。って感じだと思う。
ちなみにモテたかったからといことも付け加えておく。
筋トレと聞けば暑くてムサ苦しい、体育会系の気合一本!ってな感じのイメージなんだけれど、先輩の筋肉を見ていると予想以上に几帳面で繊細な人たちが多い。
っていうのもやっぱり筋トレってのは毎日、自分との戦い 毎日の成長と積み重ねという勉強みたいな側面がとても強い。
ぼくの周りでも定期的に筋トレは流行る。というか、あらゆる男子共通で筋トレブームというのは一度は経験するものだと思う。
でも、何度も訪れたそのブームが長く続く事はない。単純だ。筋トレは、孤独で辛い。
みんなで一緒にワイワイ仲良く勉強!なんて物が続くはずがないように、
毎日少しづつ積み重ねていくものが、一人じゃ出来ないだなんて甘えたこと言って続くわけがない。
と、そんな物がどうして自分にハマっているのか?と思う。
僕の場合は単純だ。毎日がかなりクソでつまらないかったからだ。
なんていうかぼくは、どうにもみんなでワイワイやるってのが小恥ずかしい。
真剣な部活みたいな物なら、みんなが真剣だから、向き合えた。
けれども、中高と抑圧されてきた人間たちが欲望の限りを尽くすというような
大学の「ゆるくて楽しい男女のサークル」というのは、ぼくには無理だった。
ためしに入ったバドミントンサークル。みんなで集まって、まず最初に自己紹介。あだ名をつけて、お話して、まずは仲良くなる。男女でペアを作って、経験者は初心者に手加減する。
みんなが楽しくワイワイ。壊れ物が入った荷物を運ぶように。
慎重にコミュニケーション。
ああー、なんだろう。これ。作り笑いを浮かべながら、ぼくは思った。
そしてその日、家に帰ってぼくはバドミントンラケットを叩き折った。
そんなこんなで大学になじめず、部活に入るタイミングを失ってぼくは独りになった。
そんなとき、いつものようにSNSを開く。サッと4秒で入れる内輪。
ぼくのインターネット世界での居所だ。
他のユーザーが筋トレについて語っている。
筋トレか…暇だし、やってみようかな。
そんなことを思って、ぼくは筋肉とのお見合いを始めた。
初日。まともに運動すらしていないダラけきった身体。
所在無さからタバコにいろんな事を煙に巻いて、真っ黒な肺。
筋トレをしてみる。翌日、痛くて動けない。何だコレ。
二度とやってたまるか。
しかし、始める前にサプリやらプロテインを買った手前もう辞められない。
お金がもったいなくて一ヶ月、気づけば習慣になっていた。
筋トレで生活は向上したか?そんなことはない。
いつものように楽しそうな大学生の男女に心の中で悪態をつく。
ばかやろう。楽しそうにしやがって。
ただ、昨日よりもほんの少しだけ重い重量、気のせいかもしれないくらいの筋肉の変化。
少しだけぼくは変わっていた。
毎日レコード盤をなぞるように同じ事の繰り返しだった毎日に変化が見えた。
気づくとタバコを辞めていた。
そのお金でプロテインが買える。ふと感じる所在無さも少し減った。
トレーニングセンターでうるさいバスケ部に心の中で悪態をつく。
まともにトレーニングしないなら帰れよ。って。
ぼくより大きなラグビー部が来たときは隅っこでちっちゃくなってトレーニングをする。
まだまだだ、頑張ろう。おごっちゃいけない。
食生活も変わった。中途半端な食事じゃダメだ。タンパク質。栄養。三食キッチリいっぱい食べる。
お菓子はもう食べることは殆どない。まるで新妻だ。
夫のことを考えてバランスの取れた食事を作る。
スーパーでマグロを見ながら、少し高いけど、彼の為に奮発しちゃおうかな、なんて思ってる。
毎日楽しそうに酒と音楽、女みたいな大学生を見て、
負けてたまるか、と思う。強くなりたいと思った。
そうしてぼくは悟った。毎日の積み重ねでしか、人は変われないのだと。
自分を変えるために様々なことを経験した。海外にいって、売春されていく少女、足を切られた少年、同年代の風俗で働く少女、2つ下の彫り師の少年。
親しい人の死も経験した。
けど、変われなかった。
少しだけの間意識は変わっても、ぼく自身に変化は無かったのだ。
けど、わかった。人は急には変われない。
毎日の小さな積み重ねが人を変える。
急に昨日より重いものを持ち上げられたりはしない。
けれど、毎日、毎日積み重ねることでいつか持ち上げられる。
筋肉が、教えてくれた。
そして、逆に言えば人はどんな風にも変われるのだということ。
表面的な小細工がバカらしくなった。
顔だとか、そんな先天的に努力なしで得るものなんてどうだっていい。
勝ち得たもの、それを重視したい、そんなことを思うようになった。
努力とは何か、答えは本当に自分の身体の中にあった。
ぼくは確かに変わっていた。筋肉の成長こそまだ大したことはないが、
内面は大きく成長していた。
Facebookを見る。
友達の誕生日会をみんなで祝っていた。
twitterを見る。みんながBBQに行っていた。
知らなかった。そこまで仲良いつもりは無かったが、
ぼくが筋トレをしているうちに、みんなはより仲良くなっていた。
そんなときにふと思う、自分自身と向き合う余り、
人と本気でぶつかった経験の無さがいつか自分を苦しめるのではないか と
それでもいい。筋肉が僕自身を肯定してくれる。
そう、思いながら毎日をやり過ごしていく。
ある日、誰もいないトレーニングセンターで筋トレをしていた。
汚れた窓にふと映った自分と目が合った。
確かにぼくは変わった。そして、失った物も少し考えた。
そのとき、なぜだか急に涙が出た。
急に暴れたくなった。10kgプレートを思いっきりゴムマットに叩きつける。
大きな音を立てながらバーベルを持ち上げ、せかせかと動き、
トイレで鏡に映る自分が自分じゃないように見えた。
その日今までにない勢いで本気でトレーニングをした
何かに駆られるように、誤魔化すように無我夢中でトレーニングをした。
マシーンを荒々しく持ち上げていると、
苦笑いした人が「閉館ですよ…」と話しかけてきて、
ぼくも苦笑いで返した。
トレーニングを終えて、プロテインを右手にぶら下げながら外に出る。
さっきの人だ、男女で仲良くおしゃべりしていた。
右手のプロテインをじっとみる。
楽しそうな男女をじっとみる。
ぼくが失ったであろう物と、これから得るものが見事に対比されている気分になった。
思いっきりプロテインを飲み干した。そこに迷いはなかった。
筋肉の成長?自分の成長?結果にコミット?
そんなことはわからない。
多分明日もぼくはバーベルを持ち上げる。
ズドン、と鈍くバーベルの落下音が一人ぼっちのトレーニングセンターに響く。
それでいいかな、と思う。筋肉がぼくを必要としてくれているから。
ただ、たまに少し悲しくなる理由については、
まだ当分折り合いがつけられそうにはない。